2007年11月19日
『頭脳勝負―将棋の世界』
渡辺 明著 2007年11月10日発行 735円(税込)
将棋のプロ棋士である渡辺明竜王の本です。ここ数年はプロ棋士の方が書かれた一般向けの本が目立ちます。これにはいくつかの理由があると思いますが、一番の理由はコンピューターとインターネットの普及に拠るところが大きい思っています。
インターネットやコンピューターと将棋の相性は抜群によいと思います。インターネットを通じて将棋が指せることも、将棋界の復活に大きな役割を果たしていることは間違いがありません。
コンピューター将棋のソフトは昔からありましたが、実力がようやく人間に追いついてきました。本書でも、著者が将棋ソフトの「ボナンザ」と対戦する話が出てきます。
チェスの世界では10年くらい前からトッププロにコンピューターが追いついていますが、将棋は今しばらくの時間がかかりそうです。これは、チェスと違い、将棋の場合は取った相手の駒を使えるということが枝分かれを大きくしているためです。
もう数年すると、プロが負けたということが報道される可能性がかなり高いと思います。将棋界にとって一つの節目となると思いますが、そのことについての危機感も将棋界にはあるのかもしれません。
コンピューターが人間より強くなったときのプロ棋士の存在意義については、これからの数年で議論が盛んになるでしょう。車は短距離の世界記録保持者よりも速く走りますし、コンピューターはそろばんの名人と比べものにならないほどの計算能力がありますが、それぞれ存在していることを考えると、将棋界が単純に衰退してしまうとは思われませんが、今までのあり方が違ってくることはたしかです。
コンピューターの方が圧倒的に強くなってしまえば、棋士は対局中にコンピューターに触れる機会を持つことは許されないでしょうし、電話などで話をすることもできなくなるかもしれません。
ちょっと話がブログのテーマから逸れていますが、将棋の話が長くなるのは、自分が将棋に対しては少なからぬ思い入れがあるからです。
思い入れというのは、過去に自分が少なからぬ時間を将棋に費やしたことです。中学から高校にかけておおよそ3000時間程度の時間を費やしたと思います。ただの3000時間ではなく、集中した3000時間です。1日3時間で3年くらいですね。
3000時間を費やして得た感触としては、アマチュアのトップレベルになるには倍の6000時間、プロの下のレベルになるためには3倍程度の10000時間くらいをかける必要であるのではないかということです。将棋関係の知人を思い起こしてもそれくらいが「相場」です。
どんな分野でもその道のプロとして食べていけるようになるためには、だいたい10000時間くらいの修業期間が必要と思っていますが、将棋の体験からもそのように思います。その分野における資質によって多少の違いはありますが、オーダーとしては大きくはずれることはないでしょう。1日10時間で3年です。
さらにそこからその業界のトップになるのであれば、その数倍の時間が必要であると思われます。本書の著者のような、将棋のトッププロが20代前半で活躍して知られるようになったときには、ゆうに数万時間は将棋に費やしていることでしょう。
自分の場合は3000時間を将棋にかけて、それ以上の時間をかけるはやめてしまいました。もともとプロになるつもりはありませんでしたし、中学〜高校の時点でプロを目指すのは遅すぎます。本当のトッププロは中学の時点ではすでにプロになっています。
3000時間を費やしたあたりで、自分より明らかに強い人が周りにいなくなりました。そこからさらに強くなろうとすると、自分より強い人と出会う必要があります。ものごとが上達するためには、自分より2段階レベルが上の人が身近にいることが必要です。
また、将棋を指すことの意味を考え始めてしまいました。意味を考え始めた時点で物事の進歩は止まってしまうことが多いように思います。あることについての天才は、それをやることが面白いために没頭して意味など考えることはありません。
余談になりますが、物事は若い頃に身につけておいて方がいいというのは、それをやることの意味をあまり考えないからです。資格試験や受験勉強でも、それ自体の意味を考えずにいる方がパスしやすいように思います。大人になっても意味を考えない人を天才と呼ぶのかもしれません。ただし、天才が幸せかどうかはまた別問題です。
3000時間ほどの時間を費やした後、将棋を「損切り」してしまいましたが、今となってはよかったと思います。将棋を続けていたら費やしたであろう数千時間を別のことに使うことができたからです。
しかしながら、将棋に費やした3000時間は無駄になったとは思っていません。ある特定の分野に対するプロの凄さというものを理解できるようになったからです。それ以外にもいろいろとためになったことはありますが、ちょっと長くなりすぎるので、またの機会があったら書くことにします。