2008年08月30日
『司法に経済犯罪は裁けるか』
細野 祐二著 2008年8月4日発行 1680円(税込)
著者は公認会計士の方ですが、キャッツの株価操縦事件で有価証券報告書虚偽記載の共同正犯として逮捕・起訴され、御自身は無罪を主張するも、一、二審で敗訴し、現在上告中です。
著者の本は、事件の手記である『公認会計士vs特捜検察』が昨年出版されベストセラーになっています。しばらく前に『法廷会計学vs粉飾決算』が出版され企業の会計の問題点について突っ込んで書かれていたので読んで紹介しようと思っていましたが、積ん読になっているうちに本書が新たに出てしまいました。
本書は経済事件だけでなく冤罪についても詳しく述べられています。そのあたりは本ブログのテーマとはややずれてしまうかもしれませんが、経済事件や粉飾決算についても公認会計士の視点から論じられています。
本書はタイトルの通り司法に経済事件を裁けるかどうかがテーマですが、そのことを通じて司法自体の問題点についても切り込んでいます。
この問題は根が深い問題で、人にレッテルを貼ることや善悪で人を裁くことの意味についても考えさせられます。レッテルを貼ることや善悪でもって人を裁いて排除することが根深いのは、善悪がもともと存在するので人を排除するというより、排除することがもとになってそのため善悪の概念がヒトに生じたと考えられるからです。
おそらくヒトが言語を獲得する以前から集団にとって不利益となる個体は排除されていたはずであり、理性で判断するより深い無意識的な判断がもとにあるはずです。そのため、集団内でレッテルが貼られるとその判断には正のフィードバックが働き容易に覆すことができません。
その構造は現代社会においても残っています。いったん社会的に「悪」と判断されてしまうと、その判断を覆すこと自体を困難にする仕組みが社会にあります。本書を読んでいてやりきれない思いがするのは、ヒトの本性に根差した部分から形成された社会制度は容易に変わらないことが想像できるからです。
司法に経済犯罪が裁けるかどうかについては、本書を読む限りにおいては現時点では難しいように感じます。司法だけで解決するのではなく、著者も書かれているように会計の専門家の援助が必要なはずです。
この問題は医療問題にも当てはまりますし、今後世の中の仕事が専門化・複雑化するにつれさまざまな分野で問題になってくることでしょう。それだけ社会が高度化しつつあるということです。
昔の医者は一人でたくさんの科を診ていましたが、医療が専門家・複雑化するにつれ現在は医学は細分化されています。司法も今後は同様に細分化される必要があるのでしょう。著者はその時代の端境期に位置されているため、大変な思いをされているようです。本書がきっかけとなって、司法がよりよい形になることを望んでやみません。
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この記事へのコメント
経済事件自体は難しい側面があり、司法が世論だけに引っ張られるのは好ましいとは思いません。
刑事事件と異なる側面を認め、弁護士・裁判官・検事など司法制度の中に専門家を入れていく必要があるのかも知れませんね。
各事件の総括はもうちょっと時間をかけないとできないと思います。
経済事件が難しいのは、さまざまな人の利害が絡んでいること、大々的に報道されることが多く数多くの関係者のメンツなどにも配慮が必要なこと、「価値」をどのように考えるかがわかりにくいなどの理由があるように思います。
司法の役割の一つに、関係者が納得しやすい落としどころを見つけるということがあると思うのですが、価値の評価方法がわからないと落としどころも見つけにくいかもしれません。
総括に時間がかかるのは、関係者の気持ちが落ち着いてくるのに時間がかかるということもあるようです。









