2009年01月22日
『暴走する国家 恐慌化する世界』
副島 隆彦/佐藤 優著 2008年12月30日発行 1680円(税込)
暴走する国家 恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠
著者:副島 隆彦
販売元:日本文芸社
発売日:2008-12
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まだ書影がありませんが、副島隆彦氏と佐藤優氏の濃厚な対談本です。副島氏は『人類の月面着陸は無かったろう論』などといった著作もあり、内容の真偽はともかく、世間で当たり前と考えられていることに強力な構築力を持って独自の論を組み立てることについて傑出した力をお持ちの方です。
興味深いとは思いながらも、正直ちょっと「ついていけない」と感じることもなきにしもあらずですが、そのついていけなさは、内容に対してというよりも、そのような内容のものを次々とエネルギッシュに出されるその情動的な部分に由来するのかもしれません。
対談者である佐藤優氏も、人生を賭けながら身体を張って言論されている方であり、本書ではお二人の情動部分での濃さが釣り合っていると思います。
本書で語られているような内容に基づいて世界が動いているかどうかはわかりませんが、著者の方々を含めて、本書で語られているような内容に基づいて考え行動する人がいることは確かなので、部分的には現実に即していると言えるのかもしれません。
本書で語られている思想的、陰謀論的(本書では共謀理論と言われています)な事柄については、そのように考えて行動する人が一定数いれば存在していると言えるのかもしれません。
陰謀論的な部分は、その真偽については確認しようがない部分があります。
たとえば、「ユダヤ人が世界の金融を支配している」のような話があるとします。確かに金融機関の中枢部にユダヤ関係の方がいたり、あるいは金融機関に影響を与えることができるユダヤ人の方もいるのかもしれません。
しかしながら、だからといってユダヤ人が「支配」しているかどうかは何とも言えないところです。おそらく正確に言うと、「影響を与ている」くらいになるのではないでしょうか。
なぜなら、どのような強力な存在であろうと、不安定で移ろいやすいこの世界を完全にコントロールすることなどできないからです。また、コントロールする主体も確固とした存在ではありません。
たとえば日常において、Aさんが存在すると思っていますが、Aさんの存在はよく考えると不確かなものです。人間は不確かなものを固定的に考えるバイアスがありますが、根深すぎてそのことはふつうは意識できません。
もともと一人一人ははっきと存在できる部分が少なく曖昧なものであり、そしてその曖昧な一人一人の集合はさらに曖昧さが増大します。
陰謀論の根底には確固たる他者の存在という考えがあると思うのですが、もともと確固たる存在がないとすると、陰謀論そのものが客観的には成り立ちにくいと思います。
客観的には成り立ちにくいのですが、主観的には十分に存在するということはあるでしょう。そしてその主観が多くの人の共感を得られれれば、「客観的」に存在することになります。
共感がどのようにすると得られるかですが、一つにはその共感される内容が新たに共感する側にもともと漠然とした形で存在している場合があるでしょう。
たとえばある対象に恐怖心があると、その対象が自分たちを攻撃しようとしているということについての共感は得られやすくなります。戦争が起こると、敵国に対する否定的な見方は集団的になされます。
もう一つはその主張をする人の影響力が強い場合です。どのような場合に強くなるかはさまざまですが、その人の確信性やカリスマ性などにもよります。
対象が固定的であるとするのは、日常的に皆が行っていることですし、ある程度固定化した方が労力が少なくなります。
認識の固定化による省力と認識の流動化による適応のバランスによって認識する必要あります。AさんはAさんですが、AさんはAさんではないという両方の認識が必要なのが現実の世界です。
本書に目を通したときに、本書で語られていることがわかりにくいとすると、理解するようにした方がよいかもしれませんし、本書の内容がすべて正しいと思うのであれば、それ以外の視点を持つ方がよいかもしれません。
本書のような本を読むと、現実世界の理解は難しいものであるということを考えてしまいますが、その難しさは固定しようとこだわることによります。固定の視点を持ちつつも、固定することにこだわらないようになれば、現実の認識もいくらかスムーズになるのかもしれません。