2009年03月22日
『投資の極意は「感謝のこころ」』
竹田 和平/澤上 篤人著 2009年4月5日発行 1470円(税込)
投資の極意は「感謝のこころ」
著者:竹田 和平 澤上 篤人
販売元:PHP研究所
発売日:2009-03-19
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日本の株式投資業界では著名なお二人の対談です。2007年10月、2008年11月に行われたものが収められています。2008年のものは、金融危機の影響を受けた市場の暴落を経ての対談になっています。
分類としては株式投資の本ですが、実際の投資における技術的な話はほとんどといってよいほど出てきません。出てくるのは安いところで買うということくらいです。
全体的に精神論や人生論の話が多いのですが、投資を追求していくとそのような境地に至るのかもしれません。アメリカの投資本を読むと、技術的・哲学的な内容が多いのですが、日本の場合は思想的・宗教的な話になりやすいのかもしれません。
とくに竹田和平さんは本書に限らず、ビジネスや投資を通じて宗教的といってよいほどの境地に至られているようです。経営や芸事でもそうですが、日本人は極めるにしたがって宗教的な存在になっていくことが多いようです。
これは本人が自然とそうなられるということもありますし、周囲の人々がそのように見なすようになるということもあります。おそらく相互作用でしょうが、竹田和平さんの場合は御自身のあり方によるものが強いように感じます。
日本ではある人の力が強くなってくると、だんだん神的な存在に近づくことが多いと思います。松下幸之助さんも経営の「神様」でした。
これは日本ではもともと八百万(やおろず)の神がいるという思想があるからかもしれません。キリスト教では人間が神になることは一般的にはないので、ある人の社会的なパワーが強くなると、俗的な力が増します。ビジネスにおいては、日本人からすると法外な数十億・数百億単位の報酬を得たりします。
日本の場合は社会的なパワーが強くなると神様に近づきますが、神様に近づくということは利己的なエゴをなるべく少なくするということが求められるということです。
神様に近い人は莫大な報酬を要求することはありませんし、自分がお金持ちになったとしてもそのお金は自分の利己的な欲望を満たすためだけには使いません。その代わり、周りの人々に神様のように崇められるわけです。
崇めるということは、崇められる人の利己的・世俗的なパワーを奪う働きがあります。崇められた人は利己的・世俗的なパワーを奪われても、神的なパワーを授けられるので、より高いレベルで心が満たされ、周囲とも調和しています。
日本人には昔からそのような知恵がありましたが、竹田和平さんを見ていると、株式投資の世界においても、昔からの日本人のあり方が受け継がれているように思います。日本人が株式投資で大金持ちになった場合の、日本で望まれるあり方を先取りされているようです。