2009年05月27日
『アシュターヴァクラ・ギーター』
トーマス・バイロン英訳 福島 巌翻訳
2009年5月2日発行 1890円(税込)
アシュターヴァクラ・ギーター
著者:トーマス・バイロン英訳
販売元:ナチュラルスピリット
発売日:2009-05-12
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インドの聖典です。サンスクリット語から英訳されたものが、さらに日本語に翻訳されています。本書は古代インドの宗教思想である不二一元論が詩節の形で表現されており、インドではもちろんのこと、ヨーロッパでも百年以上前に翻訳されて、高く評価されているようです。
ギーターと言えば、岩波文庫にもある『バガヴァッド・ギーター』が有名です。ヒンズー教の聖典とということで、本書とも内容が似ていますが、本書の方が思想の「純度」が高いように思います。
本書は、古代インド思想に基づく「悟り」の境地が述べられています。自分が感覚や欲望を超えた観照者としての存在に気づくことが「悟り」のようです。
また、気づきによって、自己と世界の境界が消失し、区別や比較から生まれる苦しみもなくなるようです。
本書は「悟り」の境地が存在することが前提となっているので、東洋思想的なことにあまり興味のない方は、内容に違和感を感じるかもしれません。また、ヒンズー教の神の名前も出てくるあたりもそうかもしれません。
本書で美しく謳われている境地は、そう「なる」ものではなく、すでにそうで「ある」ことに気づきさえすればよいようです。
本書は、おもに気づいた方の視点から説かれているので、一度気づいてしまった方の立場からは、気づくことはやさしいように語られていますが、自分を含めて周りを見渡しても、気づきはそんなに容易なことではないと思います。
悟りというものがあるかどうかの議論はおいておくとして、どうすれば悟れるのでしょうか?
いろいろと考えてみましたが、結局、受け入れることしかないように思います。気づけばよいと言われても、自分の意思ではなかなか気づけません。
本書では欲望が否定するようなことも書かれていますが、よく読むと、欲望を否定することは、欲望を受け入れていないということがわかります。欲望は否定も肯定もせず、ありのままに受け入れることが重要のようです。
欲望に限らず、何かを受け入れるのはたやすくありません。受け入れやすさと悟りへの近さは比例していると思います。
受け入れる対象は欲望以外にも他者などさまざまなものがありますが、結局のところ、すべてあるものに対する自分の心の動きを受け入れるということです。
受け入れるということはどういうことかというと、自分の心の動きに対して心を動かさないことです。ちょっとわかりにくいですが、より高いレベルの自分がいると考えればよいでしょう。
本書は東洋思想に興味がある方におすすめです。東洋思想の聖典はさまざまなものがありますが、本書はそれらのうちでも最も「純度」が高いものであると思います。