2009年06月24日
人にはさまざまな要素が混在する
人間はある人を認識するとき、その人の特徴を固定して考える傾向にあります。たとえば、自分にやさしくしてくれた人はやさしい人であると思いがちです。
やさしいと思われている方も、そう思われていることを意識して、自分のことをやさしいと思ってくれる人には意識的・無意識的にやさしく振る舞いやすくなります。
たまたまやさしいという例を挙げましたが、これには他の性格的な特徴も当てはまります。また、性格のみならず、考えていることなども同じように固定的にみなす傾向があります。
しかしながら、一人の人間にはさまざまな要素が存在します。場合によっては、正反対の要素が同居していることすらあります。非常に慈悲深い独裁者が残忍に政敵を粛正することはよくあることでしょう。
独裁者を制限するものはほとんどないので、おそらく一人の人間から制限を少なくすると、慈悲深さと残忍さが混在するようになるということでしょう。慈悲深さも残忍さもほとんど全ての人にある性質ですが、周囲の制限によりそれらの性質は極端な形では発現しないことがほとんどです。
しかしながら、これは環境的に発現していないだけで、状況が変化すればそれらの潜在的な要素は容易に発現すると思われます。
日本は現在は一応平和的な国であると見なされていると思いますが、ほんの数十年前には大規模に戦争をしていました。人間の性質は急に変化はしないので、日本人は今も潜在的には戦争を起こしうる性質は有しているはずです。
これはとくに日本人が好戦的ということを言いたいわけではなく、一般的に人間の中には好戦的な性質があるということです。
戦後の日本に生まれ育つと、自分の国に潜在的に内在するそのような性質に対しては盲目的になりがちですが、おそらく外国からはそのようには見えないはずです。自分のことなので、かえってわかりにくくなっていることの一例です。
日本という国を例に挙げましたが、これは本質的には個人も同様です。一人の人は、まわりの人も、そして自分自身も固定的に考えがちですが、おそらく人間は想像以上に可変性があるはずです。
社会における人間の関係が今ある状態になっているのは、全ての人の他の人に対する思い込みと、その思い込みに影響を受けた自分自身の思い込みによります。
そしてその思い込みを最も強化しているものは、人間はなかなか変わらないという思い込みです。
逆に考えると、全ての人がその思い込みを無くすようにすると、個人も社会も大きく変わるはずです。その前提には、もともと人にはさまざまな要素が存在するということがあります。
閉塞している日本の状況を変化させるためには、日本人一人一人は変化できるということを自信を持ってわかりやすく伝えてくれる存在が必要であると思います。
そのように考えると、オバマ政権の"Yes, we can."や"Change!"というキャッチフレーズはよく練られていると思います。日本でもリーダーが念仏のように唱えてくれないでしょうか。
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この記事へのコメント
日本は好戦的だから戦争をしたのではありませんよね。例が適切ではないです。
お書きの通り、日本は好戦的だから戦争をしたわけではないと思います。当時の世界情勢の流れによって、自然に戦争になってしまった面もあると思います。








