2009年06月26日
東国原知事の発言について思うこと
自民党から次の衆議院選挙への出馬要請を受けた東国原知事が、出馬の条件として「総裁候補」を挙げたことが波紋を呼んでいます。
立場によっていろいろな見方があると思いますが、その発言について考えたことをいくつか書いてみたいと思います。
まずは、物事の性質にもよるかもしれませんが、自分がやりたいと思っていることを公言することは力を持つということです。東国原知事がすぐに総裁になることができる可能性は低いとは思いますが、今回のことによって可能性は少しでも高くなっているのではないでしょうか。
公言することにより、核とでもいったようなものができるように思います。核ができると、まわりの環境の変化の状況によっては、核を中心にして言ったことが発展して大きくなる可能性があります。核がないと大きくなりようがありません。
世の中の事態は流動的なので、何が起こるかは分かりません。秀吉が天下統一するとは、その10年前には想像すらされなかったことでしょう。
次に、中央と地方のあり方が変わりつつあるのではないかということです。道州制など地方分権の重要性が言われていますが、本当の地方分権は中央から決められたものではなく、地方が主体になって変化させる必要があります。
現在の中央集権を中心とした体制は中央がコントロールしたがるということもあるかもしれませんが、地方が中央に依存しすぎていることもあります。依存は依存する側と依存させる側、双方の問題です。
第三に、自民党の幹部から「とんでもない」「けしからん」といった声が聞こえてきますが、これは政治的には逆効果かもしれません。国民の感情としては、現在は内閣の低い支持率が示しているように、自民党を積極的に支持している流れではありません。
そのような状況において、東国原知事の発言は自民党に新風を吹き込もうとする意味合いがある内容なので、その発言に感情的に反対することは、現在の自民党の支持率をますます低下させてしまうかもしれません。少なくとも表面的には、発言を面白がるくらいの余裕があった方がよいと思います。
第四に、今回のことで国民が少しでも政治に関心を持つきっかけになればよいと思います。東国原知事が自民党の総裁になるのがよいかどうか、なれるかどうかなどということなどの判断は難しいのですが、それを最終的に決めるのは国民です。
そのような意味においても、今回の発言について政治家の方が価値判断するのは、ややおかしいかもしれません。誰が総裁になるかを判断するのは、最終的には国民の判断次第です。政治家はあくまで国民の意思の代表者です。
状況が大きく展開するときには、そのきっかけは思いもよらないところから始まります。今回の発言も思いもよらないことの一つですが、今回のことに限らず、思いもよらないことが起こって、日本が変化できるきっかけが数多く生まれればと思います。








