2009年07月19日
できないことをできるようにするために
できないことができるようになった時に、「限界を超えた」と言われます。これは集団においても言われますし、個人においても言われますが、ここでは個人について考えてみます。
個人の境界ができることとできないことの境目であるとすると、その人を規定するのはできることであると言えますし、できないことであると言えます。できないことはできることの裏返しなので、どちらでも同じことです。
ただし、できることとできないことは完全には対称ではありません。できることは意識に登りやすいのですが、できないことは意識に登りにくいからです。
できないことが意識に登りやすい機会は、やろうとしてもできないときです。やろうとしなければ、自分ができないことは意識できないことも多いと思います。
できないことは意識に登りにくく、その構造ができないことをよりできにくくさせています。できないことができるようになるためには、まずやろうと意思しなければいけません。
たとえば、ほとんどの人は自分が総理大臣になれるとは思っていないはずです。なぜなら、総理大臣に自分がなるということを意識する機会がないからです。総理大臣は極端な例ですが、もっと身近な仕事に当てはめるとわかりやすいと思います。
職業に限らず、自分がなんとなくできないと思っており、そしてそのことを意識すらできない状態であるがゆえに、自分ができない状態にとどまってしまうことは数限りなくあるはずです。
このような状態から抜け出すためにはどのようにしたらよいでしょうか?
もちろん自分で意識できればそれに越したことはありませんが、もともと意識できていないことを意識できるようになるのは容易なことではありません。
おそらく一番よいのは、自分ができないことを当然のようにやっている人のそばにいることです。そばというのは、心理的なものもありますが、できれば物理的な距離を近くするのがよいと思います。自分が到底できないと思いこんでいるようなことでも、やすやすと実行している人は数多くいます。
政治家が世襲制になりやすいのは、このことも関係していると思います。父親が国会議員であれば、自分も国会議員になれることを意識するのは容易です。
政治家になる方法として、政治家の秘書になるという方法がありますが、政治家の秘書になるためには、そもそも秘書になっている人が身近にいることが最初に必要です。
お金をたくさん稼ぎたければ実際にたくさんお金を稼いでいる人のそばにいるのがよいでしょうし、たくさんの異性と交流したければ実際に数多くの異性と交流している人のそばにいるのがよいはずです。
よくメンターということが言われますが、実際に具体的なことを教えてもらうというより、その人のそばにいなければ意識できないことを自然に当然のこととして意識できるようにしてもらえるというのがメンターの一番の役割です。
人間の能力は、おそらく自分たちで思い込んでいるほど個人差は大きくないはずです。「朱に交われば赤くなる」と言われますが、赤くなりたければ自分から朱に交わるのがよいと思います。自分で赤くすることはなかなかできませんが、自分から朱に交わることはできるからです。
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この記事へのコメント
本当にその通りだと思います。
私は今、年間億を稼いでいる社長の隣
で仕事をさせていただいているのですが、
周囲からみて”普通ではない”光景が
やればできるもんだな。という気にさせ
てくれます。
年間億稼がれるとはすごいですね。人生の多くは、どのような人のそばにいることができるかで決まってしまう面も多いと思います。
それがその人の持っている運や縁というものなのかもしれません。