2010年04月01日
『未来は、えらべる! バシャール 本田健』
本田 健/ダリル・アンカ著 2010年3月31日発行 1470円(税込)
未来は、えらべる! バシャール 本田健
著者:本田 健/ダリル・アンカ
販売元:ヴォイス
発売日:2010-03-25
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精神世界の分野では昔から有名なバシャールという「宇宙存在」と、現在は文庫本でも読めるベストセラー『ユダヤ人大富豪の教え』の著者である本田健さんとの対談です。共著者のダリル・アンカはバシャールをチャネリングする方です。またバシャールはダリル・アンカの未来世の存在でもあるようです。精神世界に馴染みのない方はこのあたりからついて行けなくなるかもしれません。
本書を紹介するのは、ビジネス書のベストセラー作家である本田健さんが共著者であることと、対談でお金や金融危機などの経済的な問題にもある程度の分量が割かれているからです。本書の目次は以下の通りです。
- 大好きなことの見つけ方、ワクワクの方法
- 運命は、変えられる
- お金と豊かさについて
- ソウルメイトとコミュニケーションについて
- 私たちの未来、分離していくリアリティ、2012年
精神世界系の本は、その内容の成り立ちにおける真偽を考え始めると、いくらでも疑問点が出てきます。本書のような本はそのような疑問を考えるよりも、本書から伝わるメッセージがどれくらい心に響くかに重きを置いた方がよいかもしれません。
上にも書きましたが、本書で面白かったのは、お金や経済危機などのお金にまつわる「俗世的な」問題についても十分に語られていることです。本書を読むと、それらの問題もスピリチュアルな視点からも眺めることができるのがわかります。
本書では「ワクワクすること」をするのがよいということが繰り返し語られています。ワクワクするためにはどうしたらよいかをまず考えてしまうのがふつうですが、まず自分の気持ちに素直に従うことがすすめられているのが発想の転換です。
以前ベストセラーになった本田健さんの本は、本質的には本書から精神世界的な部分を少なくし、一般の人にも受け入れられやすいように書かれてるのが、広く受け入れられた理由の一つかもしれません。
本書に書かれていることは、おそらくその内容だけからすると多くの人の心に響くものがあると思います。しかしながら、チャネリングなどの精神世界的なスタイルを取ると、そのことが共感をブロックしてしまう可能性があるのでそのあたりが難しいところです。
ただし本書の内容を踏まえると、あまり「難しい」などとは思わない方がよいのかもしれません。難しいと思うことの想念自体が難しい状況を引き寄せて実現してしまうようです。
本書の一番のウリはやはり本田健さんが共著者になっていることだと思います。精神世界的な内容でも、著者の名前で一般にも受け入れられやすくなっています。
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この記事へのコメント
バシャールなんて今まで書店で目にしても
一顧だにしなかったのに”本田健”につられて読んでしまいました。
現代の日本には世界で最高のチャネラーがいます。(呼べない霊がいない!)
今年に入ってから続々と著書を刊行していますがあまり売れていないようです。
惜しいことです。
いきなりですが、blog主さんは俗に言う「臨死体験」てやつを医学的といいましょうかどう思われます?
この木内鶴彦さんの体験談は医学的見地といいましょうか、脳科学的には錯覚になってしまうんでしょうかね?
http://4d4u.net/contents/
PS.以前、香山VSカツマー本について取り上げて頂きありがとうございました。
やっぱblog主さんの洞察力はずば抜けてると思いました。
これからもいろいろ参考にさせてもらいますね。
家業再生シリーズも毎回つい応援しながら読んでいます。
世の中では広く知られている人とスゴイ人が必ずしも重なってはいないことはよくあると思います。
チャネリングについてはおそらく世に知られていない方も多いと想像します。お書きの方は著書を出されているようなので、ある程度は知られている方のようですね。
>NASA局長さん
ブログの記事を御評価いただきありがとうございます。
臨死体験については、なかなか医学的な立場で話すことは難しいのですが。個人的な考えとしては、
主観的な体験としては存在する。
おそらく脳内での物質的に対応する変化は完全には分かっていなくても実際にはあるはず。
霊的な体験であるかどうかは、そのような世界の有無が問題になるので何とも言えない。
物質的に説明できるからといって、霊的な体験ではないとは言えない。
霊的な体験であるとしても、仏教的に考えると、物質的な世界の存在が幻影であるように、霊的な世界も幻影である可能性もある。
とさまざまな立場からの考え方があると思います。
霊的と言われるものについては、存在を証明することの意味から議論する必要があるので、話がややこしくなりがちです。