2008年08月26日
『ニュー・リッチの王国』
臼井 宥文/光文社ペーパーバックス編集部著
2008年8月30日発行 1000円(税込)
ニュー・リッチの王国 (Kobunsha Paperbacks 124)
富裕層や富裕層マーケティングの本を数多く出されている臼井宥文氏と光文社ペーパーバックス編集長の山田順氏、そして編集者の藤あすかさんの共著です。本書はペーパーバックですが、かなりの期間と数多くの取材を通じて書かれた力作で、ページ数も400ページ近くあります。
本書は上記の3人の方がいろいろな立ち位置から書かれているので、内容が豊富であり、さまざまな読み方ができると思います。
最も一般的な読み方は、富裕層の人たちが具体的にどのようなことを考え、どのような生活を送っているかについて好奇心を満たすために読むことです。直接取材された話が数多く出てくるので、富裕層の生活についてリアルに描写されています。
すでに富裕層になっている方が読まれると、同じような富裕層の方と自分を比較することにより、自分自身についての理解を深めることができるかもしれません。お金を稼ぐことや、そしてそれを使うことについての具体例も豊富です。
また、以前と比べて格差が広がったように思われる日本社会を考えるための本としても読むことができます。格差という言葉が一人歩きしてイメージだけが先行してしまいますが、具体例があると現状を理解しやすいと思います。
本書はどちらかというと、社会における富裕層の役割を積極的に評価している本です。日本ではお金を持っていることがあまり評価されてこなかったので、一昔前ほどではありませんが、そのことに対するアンチテーゼとしても新鮮さがあります。
貧富の差がある方がよいかどうかはよく議論されていますが、社会主義の失敗を見てもわかるように、ある程度はある方がよいでしょう。問題はどの程度がよいかということです。
どの程度の格差が最適かということは、固定的な結論は出ないと思います。もしも何らかの答えが出るとしたら、例えばジニ係数でいうとある数からある数の範囲内といったように、ある程度の幅を持った答えになると思います。
なぜなら、社会は常に変化しており、生物のような一つの巨大な有機体と見なされるからです。生物のように動的な平衡を保っているものは、均衡点が一点で固定するということはありません。ある程度の範囲で揺らぎながらバランスを保っています。
例えば、検査値にしても一点に決まることはありません。基準値は範囲で示されます。正常な空腹時血糖値がびったり80でないといけないということはありません。
おそらく社会における貧富の差の度合いも、一定の範囲で揺らぐべきはずのものであると考えられます。格差が大きくなりすぎると小さくなる方に揺り戻しの力が働き、逆も同様です。
自力で富裕層になった人にお金が集まり、それがさらに増えるのは、その人がお金を有効に活用できる能力があるということです。よく言われることですが、お金は自分をうまく使ってくれる人のところに集まります。
ここまでは一般的に言われることですが、これにはさらにその先があると思います。その先とは、特定に人のところにお金が集まりすぎると、今度はそのお金がその人から離れようとする性質です。
その離れようとする性質は、寄付という形を取るかもしれませんし、贅沢な消費という形を取るかもしれませんが、いずれにしろその人から離れていきます。
また、特定に人にお金が集まっているにしても、そのお金は株式、債券、不動産などに形を変えて世の中で働いています。特定の人にお金が集中したとしても、お金がその人だけのために働いているということはありません。
ある社会で富が特定の分布をするのは、社会的にそうなる何らかの理由があるはずです。原因があってその社会的状況に応じた分布になっていますが、その時点で最適な状態かどうかはわかりません。ただ、何らかの必然性があってそのような形になっているはずです。