2008年11月24日
『私という病』
中村 うさぎ著 2008年9月1日発行 362円(税込)
作家である中村うさぎさんのデリヘル体験記です。三日だけですが、デリヘル嬢として仕事をしようと思ったのは、自分自身をより深く理解しようという動機に基づくようです。
本書の単行本は2年以上前に出ているのですが、文庫化されたのは最近です。本書は、デリヘル嬢としての体験よりも、それに付随するセクシュアリティについての著者の考察の方が読みどころです。
本書での体験に限らず、著者は数多くの極端な経験をされています。一般的には自分自身の探求のためにデリヘル嬢をやろうとは思わないでしょう。
極端な体験は一般人にはあまり参考にならないという意見もあるかもしれませんが、時として極端なことはものごとの本質を明瞭にしてくれる場合もあります。方程式に極端な値を入れてみると、方程式の意味が分かりやすくなることがあるのと同じです。
本書にはデリヘル体験記のみならず、過去の買い物依存症の経験やホストクラブでの体験などが出てきます。求めても求めても満足できないという点では、喉の渇きを濃い塩水を飲むことによって満たそうとすることに似ています。
男性に愛されたいという願望をホストクラブで満たそうとするのは、濃い塩水を飲むことに似ています。一瞬の満足の後に新たな渇きが生じます。
本当の愛を水、エゴイスティックな恋愛を塩分とすると、あまりにも塩分が濃いと本来の水の渇きを癒すという本来の水の目的が失われてしまいます。純粋な愛という蒸留水を飲むときに、渇きは最もよく癒されるはずなのですが、一般的には恋愛という塩分も必要とされることが多いようです。
おそらく最もよい解決方法は、人体の塩分濃度よりやや薄めの適度な塩分をバランスよく含んだ薄い食塩水を飲むのがよいのでしょうが、塩分が薄いと物足りない感じがしてしまうのかもしれません。
セクシュアリティを満たすことについての著者の渇望はかなり激しいのですが、程度の差はあれ、男性として、女性として異性から愛されて十分に満足している人はあまりいないことでしょう。満足していると思っている方でも、深く考えると満たされていないことも多いと思います。
そのような意味において、本書に書かれていることは多くの人の共感を得られれるであろう点もあると思います。
著者は女性なので、女性からの視点で書かれていますが、男性の視点から読み替えることもできます。
たとえば、著者がデリヘルの仕事をされているとき、男性のお客さんが実際に姿を現す直前まで、恐怖心はなくならなかったとのことです。実際にひどい扱いを受けたことはないとのことで、著者は恐怖心がなくならないことをやや不思議な風に書かれていますが、これは女性の本能です。未知の男性については女性は恐怖心があるのが当然です。
これを男性について考えてみると、男性は未知の女性については女性ほどの恐怖心はないのですが、男性においてこの女性の恐怖心に相当するものは、自分が想っている女性にアプローチしたときに拒絶されるかもしれないという恐怖心です。
未知の男性に対する恐怖心が女性からなかなかなくならないように、好意を抱いている女性に拒絶される恐怖心も容易には男性から消え去りません。この恐怖心はなくそうとするものではなく、恐怖心を受け入れつつ行動するのが実際的な解決法です。恐怖心が完全になくなってから行動しようとすると、いつまでたっても前に進めません。