2009年03月03日
『格差社会論はウソである』
増田 悦佐著 2009年3月11日発行 1890円(税込)
格差社会論はウソである
著者:増田 悦佐
販売元:PHP研究所
発売日:2009-02-26
クチコミを見る
著者は以前はアナリストをされていた方で、日本社会と日本経済の将来について強気な見方の本を過去に数多く書かれています。そのうちのいくつかのタイトルを挙げると、
などがありますが、タイトルから日本に対して楽観的であることが伝わってきます。この中で最も根本的に著者の主張が表現されているのは、『高度経済成長は復活できる』です。新書なので気軽に読めます。著者の本書でも一貫して日本について楽観的な論調で書かれています。本書は400ページを超える力作です。
日本人は悲観論が好きな傾向があり、現在もさまざまなメディアでは悲観論の嵐が吹き荒れています。一般的に人間は自分のことについては過度に楽観的になる傾向があるので、日本人の悲観傾向は認識としては正しい面もあるのかもしれませんが、過度な悲観は成長のエネルギーを奪ってしまう危険もあります。
著者によると、日本で悲観論が盛んなのは、日本はもともとエリート階級と大衆の差がほとんどないので、エリートが自分たちの存在価値を示して大衆を支配下におくためと分析されています。
マスメディアが悲観論を好んで報道するのは、不安を煽ると売り上げが伸びるということもあるでしょう。スポーツ新聞や雑誌の見出し、書店での平積み本では危機感が溢れています。
それぞれの立場で悲観論を煽る理由は違いがありますが、根本的にはそのようにすると、唱える人に物質的・精神的な利益があるからです。悲観論は客観的なよそおいを伴って現れますが、それらはほとんどが主観的な表現です。
個人にたとえると、日本という国はいつも「自分はダメだ」と悲観的に言い続けている人です。どうせ同じ事をするのならば、ある程度軽躁で楽観的なくらいがちょうどよいと思いますが、日本人はそのあたりのバランスを取るのが苦手なのかもしれません。望ましいのは楽観的でありつつ反省できることです。よくないのは悲観的でありながら反省できないことです。
個人のレベルではお酒の場で軽躁になってバランスを取っているのかもしれませんが、国の単位ではそのような場はないようなので、悲観論だけが目立ってしまいます。
本書では定性的・定量的な分析から、日本人と日本という国の底力について詳述されています。本書の記述は多岐にわたっており、分量も膨大なので、なかなか短くまとめるのは難しいのですが、日本や日本人のイメージとしては、かめばかむほど味の出るスルメのような感じです。一人一人の個人、とくに女性や子どもの力強さを強調されています。
以前からの著者の主張として、地方と都市の格差を軸にしたメリハリのある国土の発展が根本にありますが、本書でもその主張は同様です。
著者は日本国民の強みとして、国民全体の格差が少なく均質に優秀であると言うことを主張されています。これらはもっともであると思いますが、やはり日本は均質さを強調するあまり、本当の意味でのリーダーが存在しないのが問題です。女性性の強い均質性が強すぎると、傑出するという性質がある男性性を押さえ込んでしまうことがあります。
著者が強調されている日本国民の均質的な優秀性に加えて、傑出したリーダーによる柔軟で現実的な方向付けができれば、日本は本書に書かれているように、今後も発展が続けられるのではないかと思います。