2009年06月13日
「失われた20年」になりつつあるが・・・
バブル崩壊後日本の経済成長が鈍化してもうすぐ20年なります。日本経済が長年停滞していることは、国内、国外でもよく言われています。
1991年以降、日本のGDPの成長率は3%をずっと下回っており、マイナス成長の年も少なからずあります。ほぼ20年間での成長率はだいたい20%になり、数字からは日本はほとんど成長していないように思われますが、生活の質は確実に上がっていると思います。都会での一般的な日常を考えてみます。
朝起きる目覚ましは電波時計、正確に時刻を知らせてくれます。携帯の目覚まし機能を使えば、時計はなくても大丈夫です。
トイレで用を足すときのウォッシュレットの普及率も高くなり、その性能も年々進化しており、その使い勝手は海外でも評価され始めています。
顔を洗うときにはすぐにお湯が出て快適です。電動式歯ブラシも性能の良いものが安価に手に入手できるようになりました。
昔のトースターはよくパンを焦がしていましたが、最近のオーブントースターはパンをこんがりとしたきつね色に焼き上げてくれます。パンの食感も向上しています。
仕事のために着る服は、質がよくなっているのに安価に手に入ります。
通勤のため外に出ても空気が汚れている感じましません。光化学スモッグ警報はしばらく耳にしていません。自動車の排気ガスは少なくなり、音も静かになりました。
携帯やPCのネット環境は存在すらしませんでした。今ではほとんどタダ同然で世界中のさまざまな情報が手に入ります。その分、情報のブローカー的な仕事の価値は減少しています。
駅では電子マネーにより改札を通過できるため、切符を買うことはほとんどなくなりました。昔は行列をして切符を買わなければいけなかったことすらあります。
少し大きな駅の中にはさまざまな店舗があります。昔の駅はキオスクくらいしかありませんでした。駅ナカでも電子マネーで買い物ができ、売られている物の質も向上しています。
電車では遅延情報などが液晶モニターに表示されています。混雑は相変わらずですが、携帯でニュースを読んだり、iPodで昨日録画したテレビ番組を見たり音楽を聴いたりなど、することはいくらでもあります。
電車の車掌さんは女性の声も聞かれるようになり、電車が止まったときの乗客のイライラも少しは少なくなっているようです。
会社に着くと、電子メールでのやりとり、ワープロによる文書作成、表計算ソフトによるデータ解析やパワーポイントによるプレゼン資料作成など、使い方を覚えるまでは少し時間がかかりますが、覚えてしまうと生産性ははるかに向上しています。
昔に比べると、出張の必要性は減りました。たまに出張する場合も、切符の手配、移動中の環境、ノートパソコンによる仕事環境の持ち運びなど、昔と比べると便利になっている点は数多くあります。飛行機の運賃は安くなり、新幹線も速くなり車内環境もよくなりました。
宿の予約は夜中もネットでできますし、宿泊先の情報も口コミでわかります。昔は泊まってみるまでどのようなところかわからないことも多くありました。現在では口コミで情報がわかりますし、そのためか、宿のサービスはよくなり、宿泊料金も下がっているようです。
仕事をしている場合、昔は銀行とのやりとりが大変でした。ATMは仕事が終わった後はやっていませんし、土日も利用できません。現在では、コンビニに行けばお金をおろすことができますし、振り込みなどもネットで操作できます。
仕事が終わると、職場の同僚と飲みに行きますが、居酒屋の料理は安く、そしておいしくなりました。たいていのチェーン店ではクーポンを使うことができます。接客や店の内容もくつろげるものになっています。
夜遅くまでやっている飲食店も増えていますし、コンビニの24時間営業に加えて、スーパーですら夜中まで営業していることがあります。
帰ってテレビをつけますが、大型テレビもかなり値下がりしました。ビデオ録画もテープの入れ替えを必要とせず、ハードディスクに興味のある内容が自動的に録画されています。
オーディオの音質はよくなり、曲もネットですぐに購入できます。冷暖房の質はよくなり、省電性も向上しています。風呂の使い勝手もよくなり、ドライヤーの質も上がりました。
他にも20年前より質が良くなっているものは数多く、書き始めるとキリがありません。経済成長はほとんどしていませんが、生活の質は確実に向上しており、快適さや利便性は高まっています。
にもかかわらず、幸福感は必ずしも高まっているわけではありません。
その理由は、人間の幸福感は快適さや利便性そのものにあるのではなく、それらが不足している状態から満たされる途中の過程にあるからです。
日本は第二次世界大戦において国富のほとんどを失いましたが、そこからの40年間は日々成長が実感できるという意味においては、幸福感を感じやすい時期であったことでしょう。
人間は自分だけの意思で持っている状態から持っていない状態にシフトするのは困難です。そうなると、別の幸福になる条件を考える必要があります。
100年単位での長期的な視点で考えると、今後もさらなる科学技術の発展や経済成長により、世界全体が時間をかけて現在の日本のような状況になることは十分に予想されます。
世界全体が満たされた時期に、どのようにして幸福感を得るかは大きな問題になると思います。日本は世界の遠い将来の問題を先取りしているのかもしれません。
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この記事へのコメント
いつもすばらしい考え方の展開や情報提供をされておられてますので、bestbookさんのサイトには大変お世話になっております。
ところで、幸福感についての連想ですが、以前、豊かさとは何かという本を読んだことがありました。
そこには、社会保障の充実や余暇の大切さ等を訴えていたように記憶しております。
特に余暇が大切らしく、労働時間と幸福度は反比例するイメージです。
ただ、その余暇をどう過ごすのかも大切なのでしょうね。その答えが書いていたかどうかは忘れましたが、個々によって違うのでしょうね。
お書きの通り、社会保障や余暇は人間の幸福感の大事な要素ですね。
一生懸命働いて、経済成長がある程度のレベルに達すると、それからの成長は余暇の充実などが成長になるはずです。
生きているうちは難しそうですが、遠い将来に有り余る余暇をどのように過ごすべきかについて皆が悩むような時代も来るかもしれません。