2009年08月29日
『世界同時バランスシート不況―金融資本主義に未来はあるか』
リチャード・クー/村山 昇作著
2009年8月31日発行 1680円(税込)
世界同時バランスシート不況―金融資本主義に未来はあるか
著者:リチャード・クー
販売元:徳間書店
発売日:2009-08
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本書は3部に分かれており、第1部がリチャード・クー氏による「世界同時バランスシート不況」についての解説、第2部が共著者の村山氏による「金融資本主義に未来はあるか」というテーマの文章、第3部が今回の金融危機についてのお二人による対談になっています。
3部に分かれてはいますが、本書のメインは分量的にも内容的にも、リチャード・クー氏による第1部の「世界同時バランスシート不況」についての解説であると思います。
リチャード・クー氏の本を読まれたことがある方には、バランスシート不況についての解説は不要と思いますが、本書によるリチャード・クー氏の定義では、「借金でファイナンスされたバブルが崩壊し、借金に見合う資産がなくなった民間が一斉に利益の最大化から債務の最小化にシフトすることで起きる不況」とのことです。
リチャード・クー氏は、日本のバブル崩壊後の長期的停滞を以前から「バランスシート不況」として説明されてきました。今回の金融危機は世界的にその状況が生じているというのが本書の骨子です。
「バランスシート不況」になると、民間企業が借金の借金返済による債務の最小化を図ろうとするため、民間の設備投資などが縮小し、GDPが低下してしまいます。そのような状況を防ぐために、政府が借金をして公共投資を行うべきであるというのがリチャード・クー氏の処方です。
1990年代に日本が国債残高を増やし続けて公共事業を長期間行ったことは、最近は一般的に否定的に語られる事が多いのですが、氏の理論だと、むしろ日本はそのようにしたからこそ、バブル崩壊にもかかわらずGDPをわずかながらでも増やし続けることができたと評価されることになります。
これを家庭で考えてみると、夫が年収500万円の家計が会社の業績が悪化したため年収400万円となってしまい、生活レベルを下げないために妻がパートで貯めた貯金から毎年100万円借金をして生活レベルを保つことになります。
本書に書かれていますが、リチャード・クー氏の理論は金融危機後の世界中で評価されはじめており、各国政府からの問い合わせなどがひっきりなしのようです。
国内での評価は数年前の小泉政権の時などは今一つでしたが、今回の金融危機をきっかけに世界的に評価されるチャンスが到来しました。もしも世界で評価されるようになると、日本は海外での評価に弱いため、日本での評価も高くなると思われます。
世界的に評価され始めているのは、リチャード・クー氏の理論は公共投資を正当化する要素があるからであると思います。現在、世界各国の経済担当者は自国のGDPを減少させないように必死のはずです。自分が担当の時にGDPの伸びが低下することは避けたいはずです。
過去の日本がそうであったように、政治家は借金をして公共投資を行いたいはずですが、そのためにはそれを正当化する理論が必要です。そこでリチャード・クー氏のバランスシート不況論に白羽の矢が立ったのでしょう。
リチャード・クー氏の理論は、現在の世界の経済担当の為政者の不安を解消するという心理的な意味を持っていると思います。ただし、それが経済的によいかどうかははっきりしない面もあるかもしれません。
本書ではGDPを減少させないことが前提になっていますが、生産性の高くない公共事業を行ってまでGDPを保つ必要があるかどうかの議論はありません。実はその議論が最も重要なのではないかと思います。
発展途上国で公共事業を行うことは意味があると思いますが、すでに十分に発展した先進国でGDPを保つために公共事業を継続するのと、自然に従ってGDPを縮小させることはどちらがよいかは長期的にはわからないと思います。
先ほどの家庭の話だと、年収が500万円から400万円に低下したのであれば、わざわざ妻にお金を借りて現在の生活水準を保つより、400万円のままの生活して夫が仕事の能力をアップさせることに専念した方がよいかもしれません。
今後、各国為政者の心理的な要因によってリチャード・クー氏の理論は世界的に評価されるかもしれませんが、経済的に最も合理的な理論であるかどうかはまた別の問題です。
公共投資を行うのであれば、その公共投資が今後の国の成長にとって本質的な意味があるかどうかが最もクリティカルな問題です。
先ほどの家庭のたとえでは、妻から借りた100万円を夫が仕事に役立つ技能をつけるために使うのであれば意味があると思いますが、あまり必要のない家具を買うのなら意味がほとんどありません。
バランスシート不況の考え方は一定の価値があると思いますが、その考え方を採用するのであれば、それに基づいていろいろと議論するべき事があると思います。