2010年03月07日
家業再生24
結局4年前は自己資金を出資して濃厚に家業に関わることは断念しました。東京と郷里では距離があるため、それに応じた距離とりつつできるだけのことをして、様子を見ようと考えたわけです。
物事がうまく進まないときは、その時期が来ていないのではないかと考え、できる範囲で関与しようと思いました。その当時のとりあえずの目標は、ホテルが新たに運転資金を借りなくてもビジネスが存続することとしました。
できる範囲でまず行ったのは、まずは以下のことです。
- お金の流れの最適化
- 宿泊予約サイトの管理
- 母親に経営状況を知ってもらい、経営に関わってもらうこと
- 父にフロントでの接客から手を引いてもらうこと
お金の流れの最適化とは、本当は設備投資を借金することを含むのですが、それは無理だったので、なるべくキャッシュアウトを少なくすることをメインにしました。
具体的なものとしては、たとえば両親の給料と父親にホテルから払っている家賃を下げることです。それまでは払えない家賃や役員報酬を形式的に払ったことしに、払えない役員報酬は会社への貸し付けとしていました。
こうすると何がまずかったかというと、社会保険料、税金などを必要以上に払わないといけなくなっていたことです。実質的にもらえていなかったにもかかわらず、「給料を下げる」ことについては心理的な抵抗があるようで、説得にかなり難儀しましたが、数ヶ月かけて少しそれらを下げてもらいました。
家賃を下げることについては、経理担当の人がそれはよくないと言って反対したため、経理のことはその方を全面的に信頼し依存していた父はなかなか応じてくれません。家賃を少しだけ下げたものの、結局その2年後に顧問税理士の先生に入ってもらうまでは、「適正」な価格までには下げることができませんでした。
宿泊予約サイトの管理は、コピーライティングや写真を工夫し、口コミの返答を返すことを続けました。そこで思ったのは、いくらコピーライティングなどを工夫しても、ホテル業の場合最低限の設備が整っていないと、限界があるということです。あまり期待するようなコピーを書いてしまうと、現実とのズレにお客様はかえって失望してしまいます。
母親に少しでも経営に関与してもらいたかったのは、ホテルの意識を少しでも高めるためです。前にも書きましたが、母は基本的に商売が好きなので、そのような人が主体的に関わると、ホテル全体の雰囲気に変化が生じると考えました。
父に現場での接客から手を引いてもらいたかったのは、苦情の多くが父の接客に関係するものだったからです。マイナスのイメージを口コミに書かれるデメリットを考えると、代わりにアルバイトに人を雇ってフロントで接客してもらう方がはるかに安上がりです。
父は最初は渋っていましたが、母の説得もあり、基本的にやりたくないビジネスの現場の前線から手を引くことは、父の潜在意識の流れに沿っているので、時の流れとともにフロントに立つ時間を少なくすることができました。
父がフロントに立たなくなり、苦情が全くなくなったわけではありませんでしたが、フロントの対応に関係する苦情は目に見えて減少しました。
その当時の父には、自分でも意識できない葛藤があったと思います。自分ではビジネスを継続させたくないのに、自分では会社を「自然に」潰せず社長としての役割を降りることもできない、家族がビジネスに関わるのを止めることもできないからです。
父は商売のことは話題にするのすることす好まなかったので、表面的にはホテルのことについては緊迫した会話などはありませんでしたが、意識できないところで家族間で家業の将来について緊張感があったはずです。
そのような緊張した状態が水面下に長期間存在する場合は、時間が経つと何らかの変化が自然に起こることがふつうです。
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この記事へのコメント
時代が女性化していることもあり、サービス業は女性の方が適性があるのかもしれません。商売については、幼少時の家庭環境も影響があるように思います。
在庫はスムーズにうまく捌けるといいですね。