2010年04月27日
家業再生35
当ホテルは開業して25年くらい経ちます。どのような業界もそうですが、経済全体の大きな流れの中で営業しているため、時代に大きく影響を受けます。
宿泊業界はその業界が持っている独自の構造があり、その構造の中で経済全体の流れに大きな影響を受けてきました。ここではこの25年くらいの流れを大まかに振り返ってみます。
約25年前というと1985年くらいです。日本の株式市場のバブルのピークが1989年の終わり、地価のピークが1991年です。1985年というとプラザ合意の年であり、円高が急激な円高が始まりました。
その頃は円高不況がいわれていましたが、現在のような長期停滞による沈滞感や悲壮感はなかったはずであり、実際に数年するとバブルに突入しました。
開業した当初は土地の価格も猛烈に上昇し不動産価格はうなぎ登り、ホテルは毎日のように満員、しかも客単価は現在より高い状態です。
同業者の方も25〜30年前に旅館からホテルにしたところが多く、宿泊業界にとってはバブルの時代はよい時代でしたが、これは宿泊業界に限った話ではなく、日本全体が好景気に浮かれていました。
当ホテルにとって幸いだったのは、開業したのが1985年であり、まだバブルが始まっていない時期だったことでしょう。もしもこれが1990年であれば、初期投資額が現在よりもかなり増えていたはずであり、さらに過大な借金に苦しめられていたはずです。場合によっては潰れていたかもしれません。
宿泊業界でバブル崩壊後に最も大変な思いをしたのは、バブルの時期に過大投資をしたリゾート系の宿泊施設などです。関東のさる地銀などは、そのため倒産してしまいました。
宿泊業界は借金をして建築物を建てるというのがいままでの業界の基本的なパターンなので、バブル崩壊後の日本経済においては、構造的に苦しい業界の一つです。
不動産価格の持続的な低下による資産価格の低下、デフレによる借金負担の実質的な増大、出張の縮小やレジャーの手控えなどにより、何層にも逆風が吹いていました。
と書くと、宿泊業界にとってはよくないことばかりのようですが、ビジネスホテルについては必ずしも逆風だったばかりではありません。そのことは、この20年くらいで全国規模のチェーン展開をしているビジネスホテルがいくつも存在していることからもわかります。
比較的リーズナブルな料金で宿泊できることもあり、出費を手控えたいビジネスマンや旅行者に対する需要が拡大したため、実はビジネスホテルにとってはチャンスの時代でもありました。
当ホテルは開業して25年くらい経っても実質的に債務超過、過大な借入金が存在したままですが、その一方同じくらいの時期に開業したチェーン店系のホテルは全国に100以上の支店が存在し、売上げも数百倍規模です。
25年前にそこそこの自己資本とともにビジネスホテルを開業するというのは、後付けになりますが、今から考えると絶好のビジネスチャンスでした。
母は商売の話が好きなのでこの話をしましたが、ちょっと長くなってきたので、その返答はまた後日にします。