2013年07月24日
家業再生48(過大な借入金その1)
ここで再生に関わる前の事業の数字を書いておきます。わかりやすくするために、そして現時点でも営業中の会社の数字のため、細かい部分は正確ではなく大雑把なものと思って下さい。
当時はまだまだ会社の数字は具体的には知らされておらず、後にいろいろわかったことがあります。その1つが父個人の隠れ負債でした。
当時はまだまだ会社の数字は具体的には知らされておらず、後にいろいろわかったことがあります。その1つが父個人の隠れ負債でした。
資金繰りに行き詰まった父は、会社として、そして個人として、いろいろなところからお金を借りていました。借りたお金は税金の支払いや、主に会社の運転資金に充てていたようです。
追加で多額のお金を借りていた先は、もともとのメインバンク、政府系金融機関の金融公庫等です。母の貯金の一部も返済に回っていたので、自分の妻にも借金があることになります。まあここまではいいと思います。
さらに父自身の親友に400万円、そして経理を外注していた担当の人にも100万円ほどの借金が個人的にありました。そしてさらには、未払いの相続税が数百万円の分割払いとして残っており、開業当初「景気がよかった」時に太っ腹にも身内の借金を肩代わりした一千数百万円の借り入れ等々、合計すると2億円近い借金です。
そしてそしてさらには、会社の父個人の貯金を会社の貸付にしているものが約7000万円ありました。資金繰りに行き詰まって、まずは自分の貯金を10年くらいにわたって取り崩し続けていたようです。
一番最初は土地を担保に4億円を借りて開業したのですが、当初は20年での返済計画となっていたようです。当初の計画通りならば、数年前に完済していたはずでした。ところがリスケを繰り返し、半分ちょっとしか返済が終わっておらず、個人の貯金も底をつきほぼゼロ、事業は右肩下がり。
客観的に考えると、とっくに破綻しているのですが、唯一の救いは土地と建物にまだ価値が残っていたことです。
自分と身内を除いて、人様に返済するべき借金が2億円弱、土地の建物の市場価値がおそらく2億円強、土地建物をすべて売り払って清算すると、それでも数千万円のお金が残る計算です。金融機関がお金を貸し続けていてくれたのも、土地と建物に価値があったからでしょう。
しかしながら、いよいよ当時は限界が来ていたようです。これも後で知ったのですが、実際にすべてを売ってしまうことも父は具体的に考えていました。
追加で多額のお金を借りていた先は、もともとのメインバンク、政府系金融機関の金融公庫等です。母の貯金の一部も返済に回っていたので、自分の妻にも借金があることになります。まあここまではいいと思います。
さらに父自身の親友に400万円、そして経理を外注していた担当の人にも100万円ほどの借金が個人的にありました。そしてさらには、未払いの相続税が数百万円の分割払いとして残っており、開業当初「景気がよかった」時に太っ腹にも身内の借金を肩代わりした一千数百万円の借り入れ等々、合計すると2億円近い借金です。
そしてそしてさらには、会社の父個人の貯金を会社の貸付にしているものが約7000万円ありました。資金繰りに行き詰まって、まずは自分の貯金を10年くらいにわたって取り崩し続けていたようです。
一番最初は土地を担保に4億円を借りて開業したのですが、当初は20年での返済計画となっていたようです。当初の計画通りならば、数年前に完済していたはずでした。ところがリスケを繰り返し、半分ちょっとしか返済が終わっておらず、個人の貯金も底をつきほぼゼロ、事業は右肩下がり。
客観的に考えると、とっくに破綻しているのですが、唯一の救いは土地と建物にまだ価値が残っていたことです。
自分と身内を除いて、人様に返済するべき借金が2億円弱、土地の建物の市場価値がおそらく2億円強、土地建物をすべて売り払って清算すると、それでも数千万円のお金が残る計算です。金融機関がお金を貸し続けていてくれたのも、土地と建物に価値があったからでしょう。
しかしながら、いよいよ当時は限界が来ていたようです。これも後で知ったのですが、実際にすべてを売ってしまうことも父は具体的に考えていました。